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人事(ひとごと)というより、物語の世界なのか? [フクシマ]

ツイッターの書き込みに、こんなものがあった。

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通り魔被害に遭った女性が「救急車が来るまでの間血を流している私を大勢の人が囲んで撮影してた。私が苦しんでるのに何が面白いの?犯人よりもその人達の異常さに腹が立った」・・・
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火事を遠巻きにした人が、燃え盛る炎を見守るというのは、よく分かる。しかし、延焼してきたら、なんとかしようとするであろう。身が危険だから・・・。家族が巻き込まれようとしていたら、助けもするし、近所に危険を知らせるのはふつうのコトだと思っていた。

でも、そうでもないようだ。ゾッとする。

私は、日本の北の地で、都会育ちのもやし精神を叩き直されたクチである。一番生意気な口を大人しくするのは、人っ子ひとりいない原生林に置き去りにして、1人で過ごさせること。それが仕事で、半年もすれば、どのような心づもりで、現場に入らなければならないか、身にしみる。大げさに言えば生き残ることを実感する。

今の人達は、自分の命も含めて、リセットできる単なる「事象」として、生き死にを捉えているのだろうか。だとしたら理解できないし、少なくとも一緒には行動したくない。自分の身が危うくなる。
私は、間違っているのだろうか。

少なくともフクシマはリセットできないのだが・・・
今の政府は、どうやらリセットできると信じているフシがある。私には野田首相の顔が折り紙のように見え、口パクに合わせ誰かが吹き替えをしているようにさえ思える。誰なんだ、しゃべっているのは・・・
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tak

大阪で起きた通り魔事件でも、
動画撮影している人がいたそうです。
私なんかは、
「いいから、さっさと逃げろよ。アブネーだろーが」
と思うクチです。

薄情と思われるかもしれませんが、
刃物を持っている人がいるというのは
明らかに危険な状況ですから、
そこに近づくのは愚かです。
さっさと逃げた方がいい。
危険な状況を、危険ととらえるためには、
想像力が必要です。

ところで、眼に見えないものに関する話は、
どうしても抽象的になります。
だから、放射能の危険性という話も、
どうしても抽象的になります。
抽象的なことを考えるためには、
想像力が必要です。

いまは、想像力が欠如している人が
多くなっているのかもしれません。

by tak (2012-06-14 10:08) 

micyu

takさん
こんばんは。
想像力を働かせないと、暮らしていけないことはたくさんあると思います。
明日の天気、地震、雷、女性の気分・・・etc
都市に生活すると、情報が手に入り、これらを数値や映像として入手できてしまい、想像する必要がなくなります。
みんなこうやって生活していっているのだと思います。きっとビデオを撮るのもそういった理由では・・・

でも今度のフクシマで、情報が途切れ途切れにしか入ってこないし、嘘だったり・・・だから観察力と直感で判断が下せた人が、被災を免れた(軽くすんだ)のではないでしょうか。

やっぱり必要なんです。生きていくための観察眼と直感は・・・
by micyu (2012-06-15 22:24) 

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